笹さんの『日本男児という生き方』を読んで、改めて私の身近にも「日本男児」はいたんだという感慨を覚えた。
20年近く前に亡くなった父のことだ。
息子の贔屓目と言われたら、それまで。
だが父は、少なくとも我々子供の前で弱音を吐いたことがない。
地元の建設業界に少し顔が利くというので、さる政治家の選挙の手伝いを頼まれ、妙な行き違いから選挙違反の疑いで身柄を勾留されたことがある。
その時も、臆する素振りもなく「何も間違ったことはしていない。安心して待っていろ」とさばさばした表情で出かけて行った(無論、ほどなく罪に問われることなく帰って来た)。
或は、連帯保証人になっていた知人が、巨額の借金を抱えたまま自殺してしまい、長年かけて築き上げた会社が倒産に追い込まれたこともあった。
丁度、私が故郷を離れて東京の大学に在学中で、さらに地元に弟が二人。
どれだけお金があっても足らない頃だ。
さすがに暢気な私も、この時は中退を覚悟した。
子供の頃から育った家は抵当に入れられ、母が弁当屋で働いて辛うじて家計を支えながら、少しづつ自殺した知人が残した借金を返している窮状のさ中だったからだ。
しかし父は、「学生時代は二度と来ないんだから大いに楽しめ」と言って、悠然としていた(数年後、新しく会社を興し、自宅の抵当も解除された)。
こうした経験は、世間的な「強者」がいかに容易く「弱者」に転落するものであるかを、私に思い知らせると共に、真の強者たる条件についても、考えさせた。
今から思うと、父は「やせ我慢」をしていたのだろう。
だが、そんなことを露ほども感じさせなかった。
本書に登場する堀江元陸軍少佐が、肩の酷い痛みを笹さんに気づかせなかったように。
私も、笹さんには「この軟弱者!」と思われても、少なくとも子供たちの前では、重大な場面で弱音を吐くような醜態は、見せたくない。
皆さんも改めて周りを見回すと、父親とか祖父、或はおじ、大おじ、会社の上司、サークルの先輩など、意外と身近に手本とすべき「日本男児」を見出だすことが出来るのではないだろうか。
全く見当たらないなら、これはもう自分が他の手本となる日本男児になるしかない。